2008年11月23日日曜日

明るく、困っているかもしれない


真の理解の重要性。 
 
主にアフリカをフィールドとする研究者が中心となって開いた、研究発表会に参加したときのことである。この会の終盤におこなわれた全体セッションで、一人の学生からこんな質問が研究者にぶつけられた。  
「アフリカといえば、貧困、飢餓、まずしさといったステレオタイプ的なイメージが日本においてはある。アフリカ研究者はこれについてどのように考えているか?」  
一人の研究者がこの質問に対して、こんな切り返しをした。
『明るく、困っているかもしれない』  

この回答は、的確な深い意味を含む言葉であると僕は感じた。
自分のフィールドの経験を重ねてみると、この言葉の意味を理解できるところがある。エチオピアは世界最貧国の一つ。これは現実であり、実態である。しかし、深く彼らの生活を知るにつれて、その実態の裏側と出会うことができる。実際僕が他者であると認識された地点、つまりはじめて会った時、彼は困った顔で、「今日食べるものがないんだ、お金をわけてくれ」とものを乞うてくる態度をとった。衣服もボロボロで、憐みをかうのに必死という形相も伝わってくる。しかし、そんな彼らとも彼らの言語を用いて、毎日コミニュケーションをとっていると、最初に見せてくれた苦しみとは違った「明るさ」を見ることができるようになる。それは心のやりとりの中で見せる「明るさ」なのである。 そして、最初に乞う姿というのは、時にユーモアを含むものであるということを後に知ることができる。  

僕が注目すべき部分は、この「明るさ」である。本質は困っているところだけにあるのではない。単に彼らは困りながら生活していると理解するのではなく、どのような文脈で困っているかという問題の理解につとめることが重要である。そして、そのような文脈のなかでも彼らは「明るく」懸命に生命の輝きを放ちながら、生きているというところに可能性を見出すことを忘れてはならない。つまり、彼らの真の理解を通して、彼らを語ることが重要になる。また、この彼らの深い理解なくして、どのような、開発援助、国際協力が成り立つのだろう。  
そう思えたとき、『明るく、こまっているかもしれない』という言葉の意味を少し理解できた気がする。

しかし、開発援助の立場の人の意見では、本当に困っている(苦しんでいる)人たちがいることは確かで、彼らに届く援助を即効的かつ持続的にしなくてはいけないという意見もでていた。







2008年9月20日土曜日

父とアナログ時計





エチオピア・フィールドだより      

Ethiopia News Letter  http://areainfo.asafas.kyoto-u.ac.jp/efs/    May. 2008[Vol.024]


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■ フィールドたより ■
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「父とアナログ時計」
田中 利和
(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科・博士課程)

ラジオから9時の時報が流れる度に、子供のような彼の笑顔が僕の頭の中に浮かんでくる。

僕は、エチオピアの首都アディスアベバから南西に110キロの町ウォリソ近郊の村で農業に関する調査をしている。僕はこの村で、70歳になるBさんに息子として受け入れてもらっている。同じ家屋で寝食をともにさせてもらい、農作業の手伝いをさせてもらいながら調査を進めている。僕は、Bさんに家賃や生活費として毎月決まった金額を渡しているわけではない。Bさんは「色々お互いに教えあえることがあるから、息子としてうけいれたのだよ。お金は重要ではない」といってくれる。

日本に帰国した時、僕を受け入れてくれたBさんに、何か少しでもお礼の気持ちを表すことができないかと思い、プレゼントをもっていこうと思った。僕は、彼に似合いそうなアナログ時計を購入した。そして、Bさんの反応を期待しながら再びエチオピアの調査村に戻った。

Bさんは渡したプレゼントが時計とわかるや否や、僕が想像していた以上に大変喜んでくれ、僕に何度もお礼を言ってくれた。朝から晩まで、四六時中時計を眺めては嬉しそうにしていた。その姿を見ていると僕もとても嬉しくなった。

ある時、嬉しそうに時計を眺めているBさんに「今、何時ですか?」とたずねてみた。しかし彼は、時計を見た後困った顔をして「何時なのだ?」と僕に聞き返す。その夜僕がBさんの息子に話を聞くと、彼は、Bさんは学校教育を受けたことがないし、アナログ時計の読み方も知らないのだろうと言っていた。

翌日、息子と一緒に時計の読み方をBさんに説明する。Bさんは、とても謙虚に僕らの説明を聞いてくれた。単に調査者として現地で学ぶだけでなく、一緒に生活をすることを通してお互いが知っている事を共有する。そしてわかったときのうれしさを共有する。こうやって関係を深めていきたいと思う。

翌日からラジオが時報を伝えるたびに、時計の読み方を覚えたBさんは今まで以上にうれしそうに時計を眺め、僕に「今9時だ」と笑顔で話しかけてくれるのである。