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2013年6月18日火曜日

思い出の種を撒く





思い出の種を撒く

「私が種を撒かなければ、花は開かない」谷川俊太郎作、僕の出身の幸小学校の校歌のはじまりの言葉である。 

幼少のころから深く心に刻まれてきたフレーズである。 


なんでも、よかれと思う種を見つけた時は、急いで撒かずに、まず畑を耕すことが大事であると考えてきた。

牛耕のようにゆっくりと、でも着実にまずは耕す、つまり育つベースを整える。播種床を整えなければ、芽がでることはない。

そしてタイミングをはかって、種を撒く。



それでも、どれだけの芽が出ただろう。僕の撒いた種の発芽率は極めて低い気がする。



先日僕の撒いた種が芽吹いたという知らせがフィールドより届いた。



エチオピアで生活をしているとよく「マスタオシャ」をくれといわれる。

「思い出の品」といった意味であると思う。

何がいいのかと尋ねるとたいてい「君のものなら何でもいい、それで君を思いだせるから」といわれる。



はじめは、なにをあげたらいいのかよくわからず、自分の装飾品であったり、ペンであったり、身の回りの日本から持ち込んだものを、相手の状況を自分なりに考えたうえであげていた。それでも、相手にとって有用であったかのかは、さほど重要ではないのだと考えるようにしていた。あげたものの効用以上に、あげた彼と僕との間に、よい関係が生まれる可能性があればよいと願っていた。その「マスタオシャ」たちは、しばし借金の返済のために売却されていたり、酒代で消えてしまうということを後に知ることになる。
僕がよかれと思ってあげた「マスタオシャ」は「役にたった」のかもしれない。けれども、本来の「マスタオシャ」意味を理解するための道のりは長いと感じた。


種を撒く前に畑を耕すことの重要性を思い出した。



調査を通じて、長年地域に通い続けていると地域住民とのやりとりのなかでさまざまな提案をされる。
「言葉もできるようになって、文化も学んだ、牛耕もできるようになった、次は牛をもたないか?」(僕としてはまだまだなのだが、大げさに褒めてくれる)

男として結婚が認められるには、牛耕ができること、牛を持っていること、家をもっていることなどが基本的な条件としてあげられると思う。自分で牛をもつということで、牛の育て方も主体的に観察できると思った。現地のホストファミリーの協力を得て、自分の牛をもつことにした。家畜市で繁殖可能な雌牛を、皆でよく見極めて、僕がお金を払って購入した。

調査が終わりに近づき日本に帰国する時に、一番お世話になったホストファミリーの母にその雌牛を「マスタオシャ」と言って譲ろうとした。母は「私達の雌牛よ、あなたが留守の間は大切に育てるから、早く帰ってらっしゃい」と言った。


フィールドでも最近フェイスブックがはやっている。

先日ホストファミリーの兄弟から、こんなメールがきた。


Sanii kee jibichadhale,16/9/2oo4 maqaan isaa Bukuura .jedhama.  
直訳 あなたの種(つまり僕の雌牛)が、雄牛を2004年9月16日(エチオピア歴)を産みました。彼の名前はブクーラといいます。


通常牛に対しては体の体色を基準とした雌雄成育段階別の呼び方がある。特別な愛着があるような牛には稀に固有名をつける傾向がある。ブクーラは固有名、愛されているのが伝わってくる。

順調に育てば、ホストファミリーの畑を耕す、立派な牛になってくれるだろう。


撒いた種の芽が珍しくでてきた気がした。大切に上手に育ててくれるだろう。あちらはプロの農民だ。
ちゃんと花が咲いてほしいと思う。

僕が撒いた種はどうなっていくのか、この先もフィールドに通い続けて、観察していきたい。そして「マスタオシャ」の意味についてもさらに考え続けていきたいと思う。


2011年1月29日土曜日

アフリカ農業農村開発に関する国際シンポジウムの報告と地域研究学徒のぼやき

先日、アフリカの農業農村開発に関する国際シンポジウムを聞きに東京まで行ってきました。長くなりますが私的な報告とコメントを書き残します。

JICAF 国際シンポジウム 私たちとアフリカ
—アフリカの貧困と飢餓の撲滅を目指した農業農村開発—
http://www.jaicaf.or.jp/news/JAICAF_Symp20110120.pdf

シンポジウムの主な趣旨は、まず実際アフリカで取り組まれているアフリカの人々によるユニークな農村開発の事例も周知するというものでした。その上でNGO、JICA、民間企業、など様々なセクターで農業・農村開発に関わっている人々から話を聞いて、その情報を共有するなかで、今後私たちに何ができるか考えるというものであったと思います。参加者はアフリカの農村開発に関わってきた実務家、学生、研究者、アフリカの人々など多彩な顔ぶれ(僕が知っている限り)で大変賑わっていました。立場を超えて関心がある重要な課題であるのだなというのが会場に入ってからの感想です。

詳細は割愛するとして、それぞれ報告があったセクターごとの取り組みの特徴を簡単に考えてみたいと思います。

NGOからは、ハンガーフリーワールドのウガンダ支部での活動の報告を聞きました。現場にはりつきながら丹念に仕事をされているというのがよくわかるものでした。分野にとらわれない、総合的かつ臨機応変に対応できる強みがあるなと感じました。また、即効性のない時間のかかる課題に対しても時間をかけて柔軟に取り組めるのが強みであると認識しました。活動を通じて人を育てることにも大きな可能性があると感じました。

NGOハンガーフリーワールド
http://www.hungerfree.net/international/uganda/

JICAの報告は、一見ODAの潤沢な資金を使ったインセンティブな開発のイメージもありましたが、実際現在行われているプロジェクトの報告はマラウィの小規模灌漑プロジェクト、ザンビアでの小規模農村開発支援、ケニアでの小規模園芸農民の収入向上の事例などをとりあげ、現地の物や人といったリソースを使い、手間も時間もかけて工夫しながら取り組んでいる様子が伝わりました。大変評価の高いプロジェクトとしてエチオピアでとりくまれているFRGプロジェクトのことも紹介されていました。 

JICA農業農村開発事業 
http://www.jica.go.jp/activities/issues/agricul/index.html 

JICA FRGプロジェクト
http://www.jica.go.jp/project/ethiopia/001/outline/index.html

以上の二つの取り組みはある程度僕の中では知見があったので、再確認に終わった一面があります。
民間企業、味の素のアフリカにおける事業事例というのは、好奇心を大変くすぐるものでした。
まず、事業の戦略として、アフリカの人々を「消費者」と設定しているところが強みだと思いました。消費者つまり、お客様の欲求に答えるという全面的な姿勢が出ています。Affordable(誰でも気軽に買える)、Available(どこでも買える)の実現に終始徹底しています。アフリカでの取り組みは、現地密着、小売店で現金で製品(現物)を直接販売するシステムを構築している例を紹介していました。ブラジルでの取り組みでは、地域にあった発酵原料の選択をし、資源循環型のアミノ酸生産をおこなっているバイオサイクルの取り組みの紹介がありました。農学の技術を高度に現場で応用している例であると思いました。流石と感心しましたが、個人的には大企業だからこそできる圧巻の技だなというイメージもつきまといました。

詳しくは味の素CSR部ホームページへ
http://www.ajinomoto.co.jp/activity/csr/global/

この味の素のアフリカでのとりくみですが、ノウハウ、とても健全だと思いました。実際農村に住みこみながらフィールドワークをしていると、上記の2点が満たされて、かつ欲しいと本当に思うものは、お金がある時消費者の農民は買います。それをまた生活の場に上手に役立てている場面も観察します。企業というのは、お互いがメリットを得られ、即効的かつ持続的さらには面的に普及していくサイクルをうみだす仕組みを有しているなと思いました。

終盤の討論では、それぞれのセクターには強みがあるが、それぞれが独立してやっているのがもったいないという指摘がありました。互いのセクターが有機的につながることによって、お互いの持っている強みが最大化される可能性はあるのではないかという指摘もありました。この意見には僕もすごく同感です。どのセクターも、その軸をもちつつも、接点である「のりしろ」をもつことが重要なのではないかと思いました。のりしろがないとそれだけで完結してしまい、大きく展開されていきませんしね。
最後は古いパラダイムは終わりで、マルチパートナーシップの時代なので、このシンポジウムがきっかけで連携が生まれればよいと思いますというくくりかたが印象的でした。今後ともこういった共有できる場を定期的につくることが重要であるとも感じました。

以上報告であり、ここからが私的なコメントです。アフリカ地域研究を専攻する学生としてのぼやきと夢が大きく含まれています。

どのセクターでも共通するキーワードは現地にあるリソースを有効活用するという点にあると思います。そして価値を最大化するというところにつきると思います。その大前提は、やはりまずは現地アフリカから学ぶという姿勢にあると思うのです。アフリカの現場で何がおきているのか、彼らがどのようにしたたかに対応しているのか、現場から学ぶことが普遍的に必要なことだと思うのです。
ここに、アフリカ研究者が貢献できる位置が僕はあると考えています。研究という立場スタンスを軸に置きつつも、「のりしろ」をのこして、マルチパートナーシップの一員として現地の人々によりそう立場を大切にしながら、貢献できたらと思うのです。
さらにアフリカ地域研究を専攻している学生の僕は、アフリカの人々の「のりしろ」にも注目したいと思うのです。現地の人にも立場があります。そしてスタンスがあります。これらをまず理解すること、浮き彫りにすること、この作業が不可欠で、僕の確信する彼らが有するなんともいえない素敵な「のりしろ」の範囲も知ることが重要だと思うのです。
みんな立場は違いますが、目指している方向性は、一致しないなんてことはありえないと僕は信じています。みんな、アフリカの農業が、農村が、人々の生活が、よりよくなればいいなと考えていると思っています。それがもし間違っていなければ、地域研究者はアフリカの人、各セクターの人の「のりしろ」をつなぐ「のり」になるという可能性も考えられると思うのです。そのためには、まずはそれぞれの立場を理解する、オープンマインドが不可欠だと自覚しています。そして、互いの立場を尊重しつつ謙虚に学び自分の立場も大切にする。折角、接点があるのですから、関わることによってお互いのよりよい関係を築いていきたいものですよね。そしてよりよい生活を共に考え創造していきたいと思うのです。

長期でフィールドワークを行う院生や、PDの研究者などは、アフリカの農民のニーズや、現地のリソースを把握する優位性を兼ね備えていると思います。
これは大きな可能性を秘めていると思うのです。ここに企業のノウハウの視点を加えることにより、新しい反応が起きないかなと考えるのです。アフリカの人の消費者目線に寄り添う。周りの資源を熟知する。この二点を深く把握した上で、彼らのアイデア、僕らがもっているアイデアも最大限活用してなにか新しい展開を生み出す発明研究もあってもいいと僕は思っています。現在フェアトレードや、現地で付加価値をつけて外国に輸出するという外向きの取り組みはありますが、それに加え、内向きに展開できる可能性もあると思うのです。
搾取はしないというところに最大限配慮しながら、アフリカの人々と対等な関係と対話のなかで、アフリカの人々が欲しがる、本当に生活の役に立つものを、現地の資源で作り、どこでも気軽に買えるシステムというのを作ってしまう発想も僕は大いにありだと考えています。現地で仕掛けて創造していくスタイルのアフリカ研究があってもいいと思うのです。もしかりに、そんな発想がフィールドワークの経験から湧いてきたのならば、まずは研究という軸で考察しつつ、「企業」のノウハウを参考にさせてもらった上で、アフリカの現地の人に向けたものを売る「企業」を「アフリカで起業」してしまえという発想もありだと思うのです。そんな若い夢をもった、つっぱしる若生を、挑戦するまえに「無理だよ」や「その前にやることあるでしょう」と突き放すのではなく、そういう試みもありだと思って「よしやってみろ」と暖かく全面的に支援する体制というのが整えばいいなと思うのです。若さと情熱というエネルギーを特権に、アフリカ研究という地の利と、時間の融通が聞く利を活かして、こういったことを仕掛けるチャンスをいただければ、日本独自のアフリカに対する新しい農村開発の一面がみえてくるのではないかな、と僕は夢をみるのです。

ちなみに、僕、具体的なアイデアはあって、現在学術の知見もかりつつ慎重に吟味中です。まずは現地で文化実験調査です。夢とモチベーションはもちつづけていきたいと思っています。

2009年10月22日木曜日

アフリカ農村での携帯電話に関する農民のちょっとした発想


エチオピアの農村では、今急速に携帯電話が普及している。
都市部に近い僕の調査村はまさにそのなかにある。
携帯を持つ理由は主に以下のとおり。
① 社会的ステータス  もっているというだけで、自慢になる。
② 友人との情報交換のため。 
③ 仕事として利用。 マーケットの価格などこれでおさえて戦略をとる人もいる。
④ 音楽プレヤーや、カメラ、ビデオ、これらのオプションを楽しむため。
こういった機能をかねそなえる携帯電話。

僕はがはじめて調査にはいった2007年は、村の人口の1割も携帯電話をもつ人間はいなかったであろう。ゆえに、町での充電もさほど混乱はなかった。
しかし、今年2009年、村の状況は少し変わっていた。
全体的に携帯電話の所有率があがっている印象をうけた。
また、ネットワークも以前にまして、つながりずらくなっている。携帯の数が増えた結果だろう。さらには新しい機種もどんどん発売されている。2年前には僕の村の最寄の町に携帯本体のすら販売はなかったのに、今日では首都並の機種の豊富さ、加えて、SIMカードの値下げと、携帯所有ブームに追い風という状況であった。
なので、今回自身の調査項目に加えて、村全体の携帯の所有率も調査してみた。
すると面白い結果がみえはじめてきた。
村全体の世帯主のおよそ2割強、若者を中心に、ウシを売ったり、換金作物を売ったお金で携帯電話をもちだしているのだ。それもこの2年の話。

ここで新たにおこる問題が電気のない村で携帯をもつというとこと。
想像してもらえるとは思うが、電気のない村で携帯を使う上での制限要因となるのはバッテリーの問題。充電がきれてしまったときの話だ。
以前では町のカフェやスークで簡単に自分の携帯を本体ごとあずけ、充電できたのだが、今日ではたくさんの人が充電にくる。なので最近では携帯電話の予備の電池をもって、電池だけあずけて充電するというスタイルが一般的になってきた。そうすればステータスでもある携帯電話自体はいつも手のなかにある。

ここでおきる問題は、充電中のバッテリーについて。
ひとつのカフェに8個も充電バッテリーがあると、誰が誰のものかわからなくなってしまう。
バッテリーは見た目は同じでも、中身はまったく異なる。
新品のバッテリーは10時間はもつのにたいし、古くなると2時間ももたない。
時に、誤って新しいバッテリーをもっていかれてしまうこともあるという。
なので、新品のバッテリーをもつ人間は非常に自分のバッテリーに対して注意深い。

そこで、新しいバッテリーを手にした、僕のアシスタントであり、兄弟でありエチオピアでの真の相棒であるムティックは、僕の調査用具を眺めならが、ある日ひらめいた

これをつかわしてくれ!!!

現場にでてくる問題に対して、現状のものをうまく利用して対処する。
以来、僕の周りの携帯をもつ友人達は、僕のその調査用具をもちいて、今までおきていた問題を克服した。そして村でのブームに?まで発達した。

その調査道具とは「セロハンテープ」

紙に自分の名前をかいてセロハンテープでバッテリーに貼り付ける。

ちょっとの発想で、新しくおきる問題に対処するエチオピアの人々。

そもそも、名前が書いてあってももっていく奴がいるではないか?と一見思うかもしれないが、それはエチオピアの田舎での話。人のものを意図的にもっていくという人は滅多にいない。財布をお金をいれておいておいても次の日無事にもどってくるような社会。
むしろバッテリーに名前がはってるのだから。意図的にもっていく人などそうはいない。
ましてや、みなの目がある町のカフェやスークという場所で。
小さな会問題に即対応する問題解決能力、彼らとともに生活するなかで学ばせてもらうことのひとつにはこんなものがある。

写真は相棒のムティック
いつも仕事のあと一緒にいく酒場にて。

2008年11月23日日曜日

明るく、困っているかもしれない


真の理解の重要性。 
 
主にアフリカをフィールドとする研究者が中心となって開いた、研究発表会に参加したときのことである。この会の終盤におこなわれた全体セッションで、一人の学生からこんな質問が研究者にぶつけられた。  
「アフリカといえば、貧困、飢餓、まずしさといったステレオタイプ的なイメージが日本においてはある。アフリカ研究者はこれについてどのように考えているか?」  
一人の研究者がこの質問に対して、こんな切り返しをした。
『明るく、困っているかもしれない』  

この回答は、的確な深い意味を含む言葉であると僕は感じた。
自分のフィールドの経験を重ねてみると、この言葉の意味を理解できるところがある。エチオピアは世界最貧国の一つ。これは現実であり、実態である。しかし、深く彼らの生活を知るにつれて、その実態の裏側と出会うことができる。実際僕が他者であると認識された地点、つまりはじめて会った時、彼は困った顔で、「今日食べるものがないんだ、お金をわけてくれ」とものを乞うてくる態度をとった。衣服もボロボロで、憐みをかうのに必死という形相も伝わってくる。しかし、そんな彼らとも彼らの言語を用いて、毎日コミニュケーションをとっていると、最初に見せてくれた苦しみとは違った「明るさ」を見ることができるようになる。それは心のやりとりの中で見せる「明るさ」なのである。 そして、最初に乞う姿というのは、時にユーモアを含むものであるということを後に知ることができる。  

僕が注目すべき部分は、この「明るさ」である。本質は困っているところだけにあるのではない。単に彼らは困りながら生活していると理解するのではなく、どのような文脈で困っているかという問題の理解につとめることが重要である。そして、そのような文脈のなかでも彼らは「明るく」懸命に生命の輝きを放ちながら、生きているというところに可能性を見出すことを忘れてはならない。つまり、彼らの真の理解を通して、彼らを語ることが重要になる。また、この彼らの深い理解なくして、どのような、開発援助、国際協力が成り立つのだろう。  
そう思えたとき、『明るく、こまっているかもしれない』という言葉の意味を少し理解できた気がする。

しかし、開発援助の立場の人の意見では、本当に困っている(苦しんでいる)人たちがいることは確かで、彼らに届く援助を即効的かつ持続的にしなくてはいけないという意見もでていた。







2008年9月20日土曜日

父とアナログ時計





エチオピア・フィールドだより      

Ethiopia News Letter  http://areainfo.asafas.kyoto-u.ac.jp/efs/    May. 2008[Vol.024]


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■ フィールドたより ■
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「父とアナログ時計」
田中 利和
(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科・博士課程)

ラジオから9時の時報が流れる度に、子供のような彼の笑顔が僕の頭の中に浮かんでくる。

僕は、エチオピアの首都アディスアベバから南西に110キロの町ウォリソ近郊の村で農業に関する調査をしている。僕はこの村で、70歳になるBさんに息子として受け入れてもらっている。同じ家屋で寝食をともにさせてもらい、農作業の手伝いをさせてもらいながら調査を進めている。僕は、Bさんに家賃や生活費として毎月決まった金額を渡しているわけではない。Bさんは「色々お互いに教えあえることがあるから、息子としてうけいれたのだよ。お金は重要ではない」といってくれる。

日本に帰国した時、僕を受け入れてくれたBさんに、何か少しでもお礼の気持ちを表すことができないかと思い、プレゼントをもっていこうと思った。僕は、彼に似合いそうなアナログ時計を購入した。そして、Bさんの反応を期待しながら再びエチオピアの調査村に戻った。

Bさんは渡したプレゼントが時計とわかるや否や、僕が想像していた以上に大変喜んでくれ、僕に何度もお礼を言ってくれた。朝から晩まで、四六時中時計を眺めては嬉しそうにしていた。その姿を見ていると僕もとても嬉しくなった。

ある時、嬉しそうに時計を眺めているBさんに「今、何時ですか?」とたずねてみた。しかし彼は、時計を見た後困った顔をして「何時なのだ?」と僕に聞き返す。その夜僕がBさんの息子に話を聞くと、彼は、Bさんは学校教育を受けたことがないし、アナログ時計の読み方も知らないのだろうと言っていた。

翌日、息子と一緒に時計の読み方をBさんに説明する。Bさんは、とても謙虚に僕らの説明を聞いてくれた。単に調査者として現地で学ぶだけでなく、一緒に生活をすることを通してお互いが知っている事を共有する。そしてわかったときのうれしさを共有する。こうやって関係を深めていきたいと思う。

翌日からラジオが時報を伝えるたびに、時計の読み方を覚えたBさんは今まで以上にうれしそうに時計を眺め、僕に「今9時だ」と笑顔で話しかけてくれるのである。